ゆみとり

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佐幕派の英雄、鴉組の細谷十太夫直英さんについて

元記事を貼っておきますね。読んでないと訳分からないかも知れません。すみません。

マー君も超えられない30余戦全勝した仙台藩の英雄!「鴉組」細谷十太夫直英とは何者か? | BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)


細谷さん、大好きなんですよね。
戊辰戦争で仙台藩の下級藩士の子として生まれた細谷さんは、その戦の才能で藩主様から武一郎の名前をもらったり、えらい出世したりする訳なのですが、「武一郎」ってすごいですよね。数多いる仙台藩士の中で「武一」ですよ。カッコイイ。
記事で書けなかったのでここで主張しておきます(笑)

細谷さんは、子供の頃にお父さんが亡くなり、お母さんは離縁されて、自分はお寺に預けられてと子供心に寂しいに違いない幼少期を過ごしています。それなのにあの人心掌握術。
寂しい幼少期を過ごしたからこそ、人の気持ちを掴む術に長けていたと言えるかも言えるかも知れませんが、寂しさや貧しさに潰れてしまいそうな事だってあったはず、と言うかほとんどの人はそこで潰れてしまうはずです。

彼は戦争だけではなくて、その前の役人時代だって、人足達に慕われたり、そのお陰で他の同僚の倍くらいの成績を上げたりと成果を残しています。元々が気持ちの強い、清々しい男の人だったのでしょうね。

行数の関係で書けなかったのですが、彼は仙台藩の石巻港に停泊していた榎本武揚佐幕派の軍艦を北海道に退かせるために交渉役をしたりもしています。彼の交渉が失敗に終わっていたら、蝦夷地以前に石巻佐幕派と新政府軍の衝突があったかも知れない訳で、そうしたら江戸時代から漁業と交易で栄えてきた港町、石巻の明治からの繁栄は無かったかも知れません。

 

彼は佐幕派の仙台藩の藩士でしたから、彼の思想も佐幕っぽいものであると思われがちなんですが、実は仙台藩の上層部とその他では考え方に結構違いがあって、徳川政権に忠実であろうとした人が多い上層部に比べて、その下の人達はすでに戊辰戦争に勝ち目がない事を分かっていて、西からやってくる新政府軍が会津潘を攻めるくらいなら、仙台藩が先に会津を攻めると同時に降伏するよう口説き、被害を最小限に抑えるべきだという考え方をする人が多かったようです。

戦争も後半になってくると、上層部の人達も勝てないという現実を受け入れてくるようになってきたので、食料援助などと引き替えに、石巻から軍艦を退かせてくれるよう交渉する事になりました。さて誰に交渉に行かせよう、死ぬ気で軍艦に乗り込んでいる食い詰め者共を穏やかに撤退させ、かつ仙台藩のメンツも立てられるような交渉に優れた男はいないだろうか、という事で白羽の矢が立ったのが細谷さん。
戦術家としての彼の才能も素晴らしいものがありましたが、彼の最もすごい所はこのコミュニケーション能力の半端ない高さです。上は佐幕派のインテリから、下は任侠のオッサン達まで、彼にかかって落とせない人はいないんじゃないかって言う。いやあ、一回会ってみたかったなあ。

そんな訳で佐幕派の軍艦は蝦夷地に撤退し、再起を図ることになりました。
どっちかというと細谷さんはとても現実主義的な人で、彼は仙台藩の偉い人達の味方でも新政府軍の味方でもなく、仙台藩そのものやそこに住む人達の味方だったと思います。現代人の筆者からすると、全く正しい政治感覚だと思います。

戊辰戦争後の彼もとても元気で、記事にした以外にも江戸城無血開城させた有栖川宮熾仁親王からお金をもらったり、蝦夷地で開墾してみたりと、あの激動の時代の波に翻弄されつつもそれを乗り越え、たまにはそれに乗って遊んでみたりと、本人はきっと必死だったんだろうなと思いたいのですが、どうもそうは思えない(笑)人生をしこたま謳歌してるに違いないよこの人。と筆者は密かに確信してます。

 

戊辰戦争モノというと、だいたい登場人物の思想って佐幕派か新政府側、欧米かぶれのどれかになっちゃう事が多いのですが、そのどれにも属さない人達っていっぱいいたはずなんですよね。その代表、有能な戦術家で人たらしの細谷さんを主人公としたお説がいつか書けるといいなあと思っています。