ゆみとり

歴史サイトにUPした歴史上の偉人や個人的にカッコイイと思う人、出来事などの詳しい解説やこぼれ話、キノコや植物、虫など

スペインのハポンさん 慶長遣欧使節と支倉常長

元記事です。

400年の時を経て 伊達政宗とサムライの浪漫がスーパーモデルとして開花す | BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)


支倉さん、この人も本当にすごい人ですね。さすが主君を差し置いて教科書に肖像付きで載ってるだけのことはある。
太平洋、大西洋連続横断の末にメキシコ、スペイン、ローマと行って帰ってきちゃうし。なんか市民権もらってるし。

ユダヤ系貴族の子弟であったソテロの尽力が半端なかったという話ですが、本当、この旅の前半はすごかった。こんな事言うとアレですが、無理矢理現代に例えればこないだのブータンの国王様みたいな取り扱われようです。支倉さんの人柄や精神力なんかももちろんですが、やっぱりイエスズ会に対抗したいフランシスコ会の宣教師でかつイスパニアの貴族だったソテロの一族の後押しがなかったらこうはならなかったでしょうね。

 

しかし、結局ソテロとその一派は、イスパニアにおける一大勢力、インド顧問会議の意向を押し切る事ができなかったので、政宗公と支倉さんの目論見もそこまでになってしまう訳なのですが。
日本との「平等な」貿易に関する条約など、インド植民地の商売敵になるので容認できないと言う事だそうです。他にも何か理由がありそうですが、もうupしちゃった記事なので、この辺の事情は暇な時にでも調べてみたいと思います。

でも、ここで「仕方ねーよ、スペインの植民地政策のアレコレまで仙台藩でなんともできねーよ!」って、弁明などできなかった支倉さんの代わりに筆者が言い訳しておきますね。日本に帰ってきたらもう禁教令が結構幅を利かせてて、支倉さんには何もできない状況でしたし。西方諸国見聞録的なものを著してもいいくらいのすごい経験のはずなのに、やっぱり禁教令のせいでしょうか、今に至るまで彼の著作は何も見つかっていない。本当にないんでしょうか。あってもいいのになあ~。

残っているのは明治になるまで忘れ去られていた肖像画のみ。メダイとか宝物っぽいものはあるんですけれども、紙の資料ったらあとは旅前半の全身肖像画くらいです。
でも、これ明治になって修正されたという話ですがどうなんでしょう。
ソースがどこだったかもう忘れちゃったんですが、維新後、明治天皇の巡幸に際して、常長さんの肖像が余りにも当時の常長さんらし過ぎて、「こりゃダメだわ」って修正されちゃったっていう話をどこかで読みました。

長旅で疲れ切り、異国の食べ慣れない食物、着慣れない衣服、全く違う気候になんとか順応しようと奮闘し、主君の命を果たせる望みもなく、やつれ、痩せ細った男。それが本来の支倉常長の肖像だったのだとか。むこうの油絵の技術で克明に描かれていたのでしょうね。それを明治になって「こりゃダメだ」と修正しちゃったという。

 

これにも明治政府側の移民政策の都合とか色々と訳があったそうなんですが、長くなるのでそれはまた今度。

名前も長経→常長になってるし、私達が知っている常長さんって現物とはほとんど違う人なのでは……せっかく現代なんだから、名前くらい元の長経に戻してあげてもいいのになあ。

ちなみに、スペインに残ったメンバーの内の一人はその後貴族の護衛役のような仕事をしていましたが、その扱いがまるで奴隷のようだというので訴訟を起こしています。その時にローマで教皇から拝領した市民権を証拠として提出しています。日本でキリスト教徒として弾圧を受けるよりは良かったのかもしれませんが、残った人には残った人の苦労があったんですねえ。

彼がその後どうなったのか、今の所筆者には分かりません。どなたかご存じの方いらっしゃったら教えて頂けると幸いです。