ゆみとり

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日本人の生き物への愛……的なもの?

ツイッターから。

 

ソースを忘れてしまいましたが、日本において馬や牛を使った輸送手段が発達しなかったのは、江戸幕府がそれらの発展によって、当時の主な輸送手段であった船による輸送業の衰退を恐れたのだという話を読んだ事があります。

もう一つは、道が狭く、人の多すぎる江戸での事故の頻発を懸念したという理由もあったそうです。 確かに、大陸に比べ、日本はどこまでも続く平原などにはあまり縁がありませんね。

 

そして遅れ馳せながら、竹村先生の「日本史の謎は「地形」で解ける」を読み始めたのですが、先生の説によれば江戸期に動物を使った輸送手段が発達しなかった訳は、

大陸の国々に比べ、日本列島に住む人々は牛馬をただの動力や輸送手段としてではなく、田畑を耕してくれる家族の一員として認識していたからだと言う事です。

 

大陸では、去勢牛を使って大量の荷物を一気に運ばせる事ができたのに対し、日本では主な移動手段が牛であった平安の頃でも牛の去勢は一般的ではなく、数十頭の牛に二人の騎馬で荷物を輸送していた大陸(モンゴル帝国)に比べ、日本では牛一頭に6人の人間がついてやっと牛車を制御していたのだとか。

 

確かに、絵巻物なんかの牛車を思い浮かべてみると、歩いた方がなんぼかマシなんじゃないのって思わずにはいられません。きっと中に乗ってるお姫様なんかがか弱すぎるんでしょうけれども、だったら馬車か人間に担いでもらう輿にしなさいよって。数人運ぶのに6人付くとか、効率が悪いにも程がありますよね。

 

そう言えば、現代では日本人も牛馬をおいしく頂いていたりしますが、ちょっと前までは四つ足を食べないルールがありました(戦時除く)。

日本人の牛馬への愛が去勢を躊躇わせたのか、それとも山がちな国土のせいなのか、どちらが本当か、どちらも本当なのか、興味深い所です。

 

f:id:suzukiakila:20140806075904j:plain牛や馬の画像がない→じゃあ牛馬と言えば草原→草原の画像もない→じゃあ苔でと言う事で掲載します。苔の草(?)原。

 

愛という数値に変換できないものを基準にものを考えるのは、こういった話を進める上で結構危険なものですが、でも確かに日本人は牛馬を愛していますよね。

 

牛や馬だけでなく、海に行けば魚の供養碑、競馬場には馬の供養塔、ケンタッキーフライドチキンジャパンでは毎年鶏の供養祭をやっています。

 

一寸の虫にも五分の魂と言いますが、日本人のこのどんな生き物にも魂があると考えて扱う性質はどこからきたのでしょう。よその国でもそう言っている所はありますが、ここまで真面目に「どんな生き物にも魂がある」説を受け止めちゃっている地域は他にあるんでしょうか。私は今の所知りません。こういう所、私が日本に生まれて良かったなあと思う所の一つです。